全国で唄われる民謡。特に津軽においては、「津軽小原節」として津軽三ツ物(三大民謡)のひとつに数えられている。三大民謡で唯一本調子で演奏する。「小原」という漢字は当て字。 「津軽あいや節」と同じく、由来は熊本の「牛深ハンヤ節」と言われている。北前船に乗り、佐渡を経て、津軽に渡るまでは同じルートを辿っているが、その後一旦別地方に渡って「塩釜」という唄に変化した。「塩釜」が生まれたのは八戸とも鰺ヶ沢とも言われるが定かではない。当時の「塩釜」は主に酒席で歌われる騒ぎ唄であった。その後再び津軽に戻ってから黒川桃太郎の手により長編の口説き節に改作され、津軽に定着する。「津軽小原節」の命名は成田雲竹。歌詞の中に「オハラ」という言葉が入ることから、「鹿児島おはら節」「越中おわら節」等の有名民謡にあやかって名付けられたとされている。この「津軽小原節」はなぜか飢饉の年に流行したため、「けがつ唄」(飢饉の唄)との異名もあった。元歌の「塩釜」は、現在でも「塩釜小原節」として残っている。 現在の演奏は大正期に確立されたもので、じょんがら節の中節と同時期。このためリズムが似通っており、太鼓のパターンも同じになっている。他の三大民謡に比べて音数が少なく、しっとりした曲調が特徴。 のち、成田雲竹の直弟子である初代成田雲竹女がこれに浪曲「壺坂霊験記」を採り入れ、現在でも小原節のひとつとして広く歌われている。
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