芸事において、世襲制の「家元」を頂点とし、擬似血縁的組織をもって団体を統率する制度。鎌倉時代に世阿弥が創始したといわれ、江戸時代に宋学〜朱子学の影響を受けつつ、「一子相伝」の日本的慣習と合流して成立した。現代では、家元の下に「大師範」「師範」「名取」「準名取」以下さまざまなランクが設定されており、準名取であれば師匠の名前から一字を、名取以上になると家元の姓を名乗ることが許される。一般に、弟子を取ったり、演奏活動で収入を得ることは名取以上の者に限定されている。 制度自体の始まりは鎌倉時代の「能」にあるとされる。本来、家元制度とは純粋に芸の継承を目的としたものであり、家元たる者には個を捨てることが要求される。世阿弥も自らの著「花伝書」において、「家、家に非ず。継ぐを以て家とす」と書いている通り、家元個人、あるいは家元の血筋を守る目的の制度ではなかった。 しかし、朱子学と一子相伝の慣習の影響により、家元は世襲制となり、家元を守ることがすなわち芸を守ることだと解釈される傾向が出てくる。 朱子学とは、南宋の朱熹により儒学から再構築された思想で、非常に大雑把に言えば「自己修養を行い、社会秩序を維持するべし」というもの。中国では元の時代に国学として採用された。日本にでも江戸時代に官学となっており、水戸学や武士道などの思想的基盤となっている。 国家に保護されて発展した朱子学は、おおまかに言えば「義理を重んじ、忠義を尽くし、君主を敬う」というものだった。乱暴に言ってしまえば、「ひたすら主君のために尽くしましょう」という内容にもなる。要するに裏を返せば、支配者に反対する者はそれだけで「不忠者」「恩知らず」として排除できるわけだから、支配者側にとってこれほど都合のよい思想もない。結局のところ、中国では清、日本では江戸中期以降、朱子学は単に君臣倫理を説く体制教学となり、あくまで体制側の論理に基づく思想となってしまった。 この思想を基礎に持つ家元制度は、やがて家父長制を擬制してゆく。貢献者に対し「雅号」として家元の姓を与え、縁組に類似した儀式を経て家父長制に取り込み、家父長たる世襲制の家元を絶対者として守るのである。ほぼ同じ発展をたどった組織形態には、暴力団、つまりヤクザ者の組織が挙げられるだろう。 このような思想的発展を遂げた制度であるから、現代においても、精神的美点を除いては有益な面はなかなか見出せない。家元〜名取〜弟子〜孫弟子という一連の金銭の流れは、ネズミ講やマルチ商法すら彷彿とさせる。 本来、民謡は民衆の音楽であり、津軽三味線に至っては乞食芸であった。昭和期以降、長唄や歌舞伎を模して家元制度が持ち込まれたのは、一子相伝の思想だけではなく、やはり支配者側に都合の良い理屈があったからだと思わざるを得まい。 なお、家元制度は、津軽三味線への導入と時期を同じくして、南京玉すだれやフラメンコ、がまの油売りやバナナの叩き売りにも導入されている。
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